サラエボでダークツーリズムな旅をする

旅の小話

 

私は旧ユーゴスラビアで起きた戦争について知りません。(世代的に当時のニュースは観ていないし、勉強できない子だったので習ったっけ?ってゆう感じ。)

 

国や民族が複雑に絡み合った血みどろの戦争だったようですが、ここボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボでは特に凄まじい戦いが繰り広げられたそうです。

 

 

サラエボ市内で見つけた戦争の跡

 

サラエボ市内を歩くだけでも、古い建物には銃弾の跡が見られます。

 

銃弾

 

街中ではこんなブラックユーモアの効いた広告を発見。

 

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国連への批判。

 

 

ジャーナリストのために営業を続けたホテル

ホテルヨーロッパ

 

包囲されたサラエボの街で女子供も動物も、動くものは全て狙われた「スナイパー通り」。

 

この通り沿いに面して一際目立つこのホテルは、内戦時に各国のジャーナリストが泊まったホテルとして有名です。

 

この動画の中に出てきますが、当時の様子に驚きます。

 

 

第一次世界大戦の発端、サラエボ事件

サラエボ事件

 

Sarajevo 1878-1918 museum

 

1914年6月26日、当時サラエボを訪問していたオーストリア=ハンガリー帝国の皇太子フランツ・フェルディナント夫婦がセルビア人青年によって銃で暗殺されました。この事件を「サラエボ事件」といい、これがのちの第1次世界大戦へのきっかけと言われています。

 

この事件が起きた場所は現在ミュージアムとなっており、建物の壁面に展示されている当時の写真は無料で見ることが出来ます。

 

開館日時:月曜〜金曜10時-18時 土曜10時-18時(日曜定休)

 

 

最悪のジェノサイド、スレブレニツァ虐殺後の遺族の日常

 

Gallery 11/07/95

 

スレブレニツァ虐殺とは、ボスニア・ヘルツェゴビナのスレブレニツァにて起きたセルビア人軍によるボスニャク人大量虐殺事件です。

 

このギャラリーでは、写真家のTarik Samarahがスレブレニツァ虐殺のその後の遺族達の日常を記録した写真を展示していました。

 

日本語のオーディオガイドがあり、写真の一枚一枚のストーリーを解説してくれるので是非付けることをオススメします!

 

白黒写真は生と死の境界を表しており、ドキュメンタリー性だけでなく写真自体の芸術性もある素晴らしい展示でした。

 

企画展として、若いアーティストグループTRIOがデザインしたポストカード「Sarajevo 1993からのあいさつ 」の展示もされていましたが、グラフィックデザインが好きな私にとっては面白かったです!この企画展は毎回変わります。

 

開館日時:月曜〜日曜 10時-20時 15マルク / 約940円(※日本語オーディオガイド付き)

 

異分子を排除する人間の恐ろしさ

 

人道に対する罪と虐殺に関する博物館

 

この博物館は、かなりストレートな展示をされているので見ると結構落ち込みます。だからこそ見るべきだとも思います。

 

人が人としてではなく、まるでゴミのように扱われているような残酷な写真に息が詰まりました。

 

違う民族、違う宗教というだけで何故こんなにも血みどろで残酷な殺し合いになったのか、これがたった20年程前の出来事なんて…。

 

1歳や2歳の子供まで犠牲になったこの戦争は、生きていれば今頃私と同い年だった子達もたくさんいたはずです、罪のない多くの人の命があまりにも一瞬で消えた。

 

生々しいジオラマがありました。この構図はアウシュヴィッツでのユダヤ人に対するホロコーストと同じように見えます。二度と起こしてはいけないアウシュヴィッツの悪夢がまたしても繰り返されたということ、同じ過ちを止められなかったのは何故なのか…。

 

ジオラマ

 

平和を祈るメッセージで埋め尽くされた部屋です。

 

部屋

 

過去も現在も、こんなにも多くの人が平和を望んでいるはずなのに…。

 

私もメッセージを残していくことにしました。

 

メッセージ

 

開館時間:月曜〜日曜 9時-21時 10マルク / 626円

 

 

包囲されたサラエボの秘密のトンネル

トンネル博物館

 

サラエボ・トンネル博物館

 

ここは市内から離れた空港の近くにあるのでトラムで向かいます。

 

 

バシュチャルシヤ前のトラム駅でチケットを購入。(1.6マルク / 約100円)

 

3系統、4系統、6系統、のどれかに乗って「イリジャ」という駅まで行きます。

 

 

チケットはこの緑の機械に通して切符を切ります。

 

トラム

 

イリジャにはトラムで30分ほどで着きましたが、ここからトンネル博物館まで歩きます。バスもあるようですが、私は自分の足で土地を踏みしめたい。

 

道

 

歩いて30分程で到着しました。この建物も銃撃を受けたようで多数の銃弾跡が残っていおり、砲弾の跡は赤いペンキで塗られ、「サラエボの花」と呼ばれています。

 

サラエボの花

戦争中、ボスニアの地には地雷が埋められ、今でも多くの地雷が埋まったままだと言います。この看板から先には地雷があるので進めません。

 

地雷

 

トンネルは1993年に作られ、セルビア軍に包囲されたサラエボの街で怪我人や物資を運び、人々を脱出させるなどサラエボを救ったと言われています。

 

通ってみると屈まないと通れないほど低い天井、この姿勢で歩くのはかなりきついと思う。現在公開されているのはほんの25mですがその空気感を体験できました。

 

トンネル

 

サラエボの街がぐるりとセルビア人軍に包囲されています。逃げ場が無くてこんなの絶望…。

 

包囲地図

 

 

月曜〜日曜 9時-17時 10マルク / 約626円

 

 

砲弾を受けて多数の犠牲者のでた市場

市場
 

pijaca Markale

 

ボスニア紛争中の1994年2月5日このマーケットにも砲弾が落ち、多くの一般市民が犠牲になりました。
 
 
今では新鮮な野菜やお花が並び、なごやかな様子。
おばちゃんがドライイチジクを試食にくれたのですが、めっちゃ美味しかったので購入。これ以降ドライイチジクにハマる私。(1kgで8ユーロ)

 

 

犠牲者の眠る墓地

墓地

 

墓地に行ってみました。

 

どの暮石も没年が1992-1995年になっているのでボスニア戦争で亡くなった方の墓地なのだと分かります。このような墓地はここだけでなくサラエボ市内にいくつもあり、犠牲者の多さを実感しました。

 

ここだけでもおびただしい数なのに、このような場所がここ以外にもたくさんある。

 

墓地

 

墓地を見ていると、近くを通ったおじいさんから「ダマラレイクン」と言われました。ダマラレイクンって何だろう?と思いつつも「ダマラレイクン」と返すとおじいさんはニコッと笑って去っていった。

 

ここはムスリム人(ボスニャク人)の墓地で、暮石にも「アッラー」と書かれていたので、もしかすると「アッサラームアライクム」と言ったのかもしれない。

 

たった20年程前の出来事、大切な人を失った悲しみや恐怖、忘れることなんてきっとできない。

あのおじいさんも戦争を経験しているはずで、私に向けてくれたあの微笑みが妙に心に残る。

 

 

まとめ

 

戦争の跡地や博物館を巡って、確かにこの地で戦争はあったのだと実感できました。

 

ですが、今のサラエボの街は20年前まで戦争中だったとは思えないほど人はとても親切だし、安全だし、どんどん新しく綺麗になっています。

 

この背景を背負い、これから「多文化が共存する国の手本」として世界中から眼差しが向けられる国になっていくのかなと思いました。

 

 

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